・2003年秋
無意識に潜む不合理 -それを実在と見る技術
新宮一成
われわれの子供時代というものは、本当にあったのだろうか?
それはむしろ、「源頼朝公幼少のみぎりのしゃれこうべ」なのではないだろうか。
落語の前ふりに使われるネタである。大阪の古道具屋でのことだとしよう。「旦那、ちょいとええもんありまっせ」「なんやなんや?」「かの源頼朝公のしゃれこうべやで」「ほんまかいな? しゃあけどこれえらい小さいんとちゃうか?」「さすがお目が高いわな、なにを隠そう、頼朝公幼少のみぎりのしゃれこうべやがな」
ここで、「そんなあほな」と言葉を返すまでの一瞬の間に、客の心に、「そうなんか!」という感激がひらめく。だまされることのめくるめく快楽。
古道具屋に一瞬だまされる客と同じように、みんな、自分をだまして生きている。「幼少の頃の自分」などというものが、心の中にきっちり存在していると思っている。そして、それは、今の自分からはちゃんと独立して、いわば純粋無垢で保存されているとも。
人間のそうした「業」にはじめて気づいたのがフロイトだった。
そしてその「業」を病気と関係づけてみた。すると病気に変化がおきた。それでは、これを治療に使おうということで、「精神分析」というものが始められたのである。
フロイトは言っている。「四、五歳で、小さな人間が完成している」。完成していたなら、そのしゃれこうべがあったっていい道理だ。問題は、それらがどこに行ったのか?ということだけだ。行き先を「無意識」と呼ぶことになった。
だから、しっかり記憶の中にある幼年時代なんかは、無意識ではない。覚えていないけれども、あったはずだ、と人がこっそり確信しているものが、無意識なのである。完成して、しゃれこうべになって、なおも活躍している変なものの存在を、人は信じている。
だから、精神分析には独特の危うさがある。はっきり確証されない幼年時代、その人自身があったと思い込んでいるだけの幼年時代なんか、頼りになるのか? そんなもので、治療ができるのか?
フロイトは、語られた幼年時代をどう受け取ったらよいのかという問いに答えて、次のように述べている。その現実性は、たしかに保証されていない。しかしわれわれは、アレキサンダー大王が実在だったことを信じている。歴史的に積み上げられてきたものを信じるという習慣を、われわれは持っている。これを捨てる必要はない。だから、語られた幼年時代も信じよう、と。
ただしフロイトは、この『精神分析入門』という一般向けの講義では、言わないでおいたことがある。それは、フロイトの言っているアレキサンダー大王の実在性のようなものは、精神分析では、源頼朝公幼少のみぎりのしゃれこうべという形で、どんどん発生するということである。フロイトはそのあとで、ヒステリーや夢の例をたくさん挙げている。フロイトが答えに使った歴史的実在性と、個人の幼年時代の実在性というのはどうも違うらしいと思う人もあるだろう。たしかに、精神分析の中では、「俺は実は幼年期の源頼朝だ」というような不合理な観念が生まれる。実はその不合理さを実在性として受け取ってゆく技術が、精神分析なのである。
落語には、「粗忽長屋」という演目がある。大阪の長屋ということにしておこう。「熊さん、えらいこっちゃで、そこで、土左衛門が上がって人だかりがしとったから、どんな仏さんやろと思て、よう見たら、熊さん、おまえさんやがな」「え、わしがそこで死んどるんか、そら、すぐ行ってみなあかん。あ、ほんまにこれはわしやがな。かわいそうなわし、こんな姿になってしもうて」
しゃれこうべではなく、土左衛門だが、精神分析家は、こういう「自分」を受け取ること(を助けること)が仕事である。
しゃれこうべとか土左衛門の間はそれなりに扱いやすいが、それらのものは、けっこうたやすく生き返ったりもする。そういうときには、なかなか扱いがむずかしいときもある。しかし、アレキサンダーや源頼朝に関する実在性と同じものが、実はそこにある。少々不合理さがあったとしても、歴史と個人史を重ねる冒険こそ、精神分析の賭けである。
安直なテレビドラマで多重人格が登場して、子供人格が最強だったりする。フロイトの賭けは、そんな二番煎じだけに使うのはもったいない。これからの世紀の思想的挑戦にそれは生かしてゆくべきものだ。
(2003年4月21日読売新聞夕刊掲載)
・2002年冬
「無常観」と「死の欲動」
新宮一成
九月十一日、飛行機の体当たりで巨大なビルが続けさまに崩れていった。それをテレビで見た多くの人が、「まるで映画のよう」だという感慨を洩らしたという。とても非生命的な反応だ。しかしその同じ人がすぐさま、「あの中には人が居るはずだ」と気付き、その中にいる自分を想像してぞっとしただろう。こちらは生命的な反応。
しかしそのいずれでもない反応もある。それは、「飛行機が当たらなくても、あのビルはいつか崩れただろう」という思いである。それは何というかとても無意味な、ほとんど反生命的とでもいうべき味わいがする。しかし私はそれを撥ねのけられなかった。他にこの思いを告白している人がいないだろうかと新聞などに注意していたが、不思議に一度も出会えなかった。
しかし、それは私ひとりが感じただけだったとは考えられない。皆もどこかでそう思っていたのではないか。というのも、それは「無常観」といわれて昔から日本人の識っている直観に属するものだと思うから。あのビルがどんなに堅固でも、永遠にあそこにああして立っているわけはない。それを「無常」と見ることが無意味であったはずはない。
「無常観」、それをどんな風に説明すればいいだろう。国文学者の川端善明氏は、ある訳書の中で「在るものすべてへの絶望的なうとましさ」という表現を用いられた。これ以上の表現にはなかなか出会えまい。では、逆に「すべて無くなってしまえばよい」という虚無主義のことかといえば、それはちょっと違うだろう。さりとてそれは、季節の移ろいを楽しもうというだけの優雅な世界観でないことだけは確かである。
「在る」ものの中には、それが無くなってしまうという宿命が含まれている。そのことに、堪らない苦しみを感じることが「無常観」の始まりだったのではないだろうか。「在る」ものは、やがては「無く」なるということを通してしか、真に「在る」ようにはならない。しかし、それが「無く」なったと思っても、そこに現れるのはほんとうの「無」などではなくて、別の仕方で「在る」ものが化けているだけなのだと知らなければならない。「在る」ものがうとましいからといって、ほんとうの「無」に出会おうとしても、それも叶わないのである。ねっとりと心につきまとうこの「在るもの」のうとましさは、宇宙の果てまで行ければすべてが「無く」なってすっきりするのに、という不可能な考えを止めることができなくなる思春期特有の苦しみに、やや似ている。
この「在るものへのうとましさ」を脱するにはどうすればよいのか。昔の人は出家した。そこからの脱出が可能になると思ったからだろうか。いやむしろ、このうとましさを自分一人のものにせず、衆生と分かち合ってそれを真理へと昇華させようとしたからであろう。
テロの「成功」を祝うことも、空爆でそれに応じることも、飛行機さえぶつからなければビルはそのまま永遠に存立したはずだという仮定を隠し持っているように思えてならない。結局撤回せざるをえなかった「無限の正義」作戦という空爆の命名も、同じ虚ろな仮定から来ていたのではないか。
ビルを壊してはいけないのは、そこに人が居るからであって、それが永続性を誇っているからではない。そんな当たり前のことが、「無常観」を通せば一瞬の輝きを放つ。沈黙しながらも我々の生活の底を流れている「無常観」は、そのままでは我々を苦しめるが、強制的永遠に抵抗する力もまたそこから生まれる。
精神分析学のものの見方は、無常観を前提としているといえるところがある。世界的な精神分析学の退潮と言われるものも、現代における無常観の沈黙-誰もそれを感じていても言わなかった-と関係があるように思う。精神分析学は、フロイトが一九二十年代に確立した「死の欲動」論という火種を抱えていた。「無常観」と関係するのはここであり、また精神分析の退潮は精神分析のこの核心部分の沈黙と関係している。
フロイトは、生命がすべて無機物に還元される方向に進もうとする傾向性を備えているという観念を持ち、それを基にすると臨床経験があまりにもうまく理解できることに驚き、「それ以外の考え方はできなくなってしまった」のである。こうして提出された「死の欲動」の概念は、進化論的な西洋思想一般にとってばかりではなく、とりわけアメリカの精神医学には受け入れにくいものだった。この概念は精神分析という思想系の全体を組み替える可能性を開いたと同時に、精神分析を時代の認知から遠ざけかねない危険も孕んでいた。そしてそれは現在の退潮として現実のものとなったのである。
しかしフロイトは、その考えから逃れようとしても逃れられなかった。「死の欲動」の概念は、我々が「無常観」に取りつかれるのと同じように、フロイトに取りついたのである。フロイトはそれを用いて精神分析を組み替えることを避けられなかった。「欲動の全生活は死を招き寄せることに奉仕しているという前提・・・この光のもとで見られると、自己保存、権力、名声へと向かう諸欲動の理論的意義は色褪せてしまう。結局のところ、有機体はただ自分のやり方でのみ死のうとするのである。生の番人である欲動も、もともとは死の衛星なのである」(『快原理の彼岸』)。
フロイトはショーペンハウエルの哲学と自分が臨床から得た思想の近さを隠さなかった。もともと哲学的なものを好みながら、哲学特有の体系を求める思考を嫌い、医学に進んだフロイトであった。体系作りに反撥する点ではショーペンハウエルと通じるところがあったのであろう。そのショーペンハウエルには、体系志向に代わってインド思想への傾倒がみられる。ショーペンハウエルを通じてフロイトの思想は仏教的なものと共鳴しあったともいえる。
先に述べたように、「無常観」は「在るものすべてへのうとましさ」に始まる。このうとましさをいったん経験した者がそこから逃れることはもはやできないとすれば、それを真理として受け入れる道を探るしかない。事実フロイトの思想はそのように展開した。そしてその後を受けたメラニー・クラインは、「死の欲動」から発生した「羨望」と名付けられる破壊的な心のあり方を、人間がいかに克服できるかという課題に取り組むことになる。「羨望」は、「在るもの」をすべて無に帰せしめようとする、自己の存立そのものをさえも。そうして、その末に人の至り着いた「無」だけが、創造という行為を保証する。無から生じるのは必ずしも創造だけではないとしても、「無」からしか本来の創造はない。「無常」はそうした「無」へ向かう我々の歩みを加速させる。
(京都新聞2001年12月25日付「提言」の記事に増補)

